死にたいんじゃなくて生きたくないけど死ねない①
画面の向こうの皆様方こんばんは。
私は大学生18才の男です。
タイトルの通り内容は一過性の感情剥き出しの駄文になります。
私はよく死にたいと思います。
またネット上などで死にたいと発言したり表現したりする人をよく見ます
そして実際に自殺してしまう人は世界中、日本にも毎日報道で知らされます。
そんな中で私が死にたいという欲求について考えたことです。
まず私は若くまだなんでもできる歳だと自覚しております
もっと歳をとって苦しい状況にあって必死に生きている人から見たら甘えも甚だしいことでしょう。
しかし私はそういった状況で生きている人を心底尊敬します。
これは決して皮肉や悪口として言うのではなく羨望の思いあってのものです。
今の私は自覚出来るところまで遡れば中学生からそして高校に入ってからは激しくなにかをしよう、成し遂げようという意思の力を失ってきました。
その症状はしなければならないことがあると強く出て私自身を苦しめました。
苦しめると言うよりは自分を守ろうとして起こったことなのかもしれません。
原因は分かりません。分からないことが苦しいのですがきっとキッカケは些細なサボり癖から始まったのだと思います。
幼少期の頃私ははっきり言うと変わっていたと思います
よく子供の頃に親が撮ってくれたビデオテープを見たり、親の話を聞いたりすると私は生き物が好きで幼稚園で皆が先生の話を聞いているときに亀のいる水槽を眺めていたり、入園してすぐは一人で積み木を重ねていたりと変わった子だったらしいです。
そうして小学校へ行くと私はよく親友と二人で授業を抜け出して遊ぶようになりました。
これだけ書けば印象が悪いでしょうがしかし私は学業においては特に支障をきたさなかったのです。
これが間違いの一つだと自分はおもっております。
つまり自慢にもなりませんが中途半端に地頭なるものだけは良かったのです。
○○(自分)ちゃんは頭がいい
親や祖父母、そして塾の講師などから皆が普通に言われる言葉を自分だけの特別な言葉、自分だけが掛けてもらえる言葉と思い始めたのはこの頃です。
これは残念ながら今も抜けていません。
それが私が死の欲求に向かう第一歩でした。
そして、私は中学生になりました。
私はここで中学生デビューというものが出来ず周囲のノリというものに全くの無頓着だったのを記憶しています。
いわゆるインキャのポジションにいました。
しかし小学生気分抜け切らぬ私の愚かな精神は当時そういったキャラ付けどころか男と女の仲の良くなることにすら全く分からないどころか興味すら示そうとはしませんでした。
そして今思えば死にたくなるような行為を何度も恥ずかしげも無く繰り返していました。
私は周囲の反応によって段々と色々なことに気づき始めました。しかしそれはあまりに遅すぎたのです。
気付けばクラスの隅の方、明るい奴らにいじめられる絡まれる殴られる。それでもヘラヘラ笑って金魚のフンみたいについて行く、そうして自分が嫌いになる。
そして私はお手本と言わんばかりに現実と理想の、こうあるべき自分が完全に乖離しました。
それにも気づかず日々のふとした瞬間にこの世から消えたいという思いを抱くようになりました。
学校行って帰って来て重いリュック下ろしてちょっと自分の部屋でゲームして、しばらくしてお母さんがご飯できたよーって呼んでくれてはいはいわかってるって半ば怒鳴るように返事してそれで二、三度呼ばれて二階上がって家族みんなで飯たらふく食って一番風呂入って最高の幸せを感じる時ふと
俺なんで生きてんだろ
なんで死ななきゃなならないのに生きてるんだろう
と感じるのです。
そうして夜は布団の中で一晩中楽な自殺を考えたりどうしてこうなったを考えたり嫌いなアイツを殺す妄想を考えたりしていました。
当時の自分は(今の自分も)俺は頭がいいと考えているのでそういった高尚(笑)な考察に意味があると考えていました。
今はそういう考えは意味が無いと思っています。でも毎日毎日相変わらず同じことを考えます。
長くなりそうなので明日また落ち込んだら書きたいと思います。