死にたいんじゃなくて生きたくないけど死ねない②
前回の記事に引き続き書いている記事です。
内容が前後して申し訳ないのですが前回の記事を読んで頂けた事を前提に書いていきます。
私は現在まで意思の力、いわゆるやる気を失い非常に義務に務めることに関して弱い人間になっております。
前回書いたように中学生にして私は理想と現実の自分が大きく乖離しました。
私はやる気というのを現在の頭の中ではなりたい自分や現したい状況を達成するための行動原理と理解しています。
つまり何かになりたいという欲求がありその上にやる気や行動が伴うという考え方です。
私は自分自身に起こる不調をこのメカニズムに自分が当て嵌まらないからだと考えます。
私の場合なりたい自分はあります。
しかしそれはあまりに現実と遠いのです。
遠すぎて見えないどころかあるかも分からない目的地に人は走れますか?
それを手伝う人が誰もいないとしたらやりますか?
私はそうして意思を弱めていったのだと思っています。
意思が弱まると今まで出来た事が出来なくなり現実の結果を見ることになり始めます、ら
すると実際は努力をしないのに目標を達成しようとしているのに遠ざかっている絶望感を味わうこととなり自尊心、プライドが大きく傷つけられるのです。
そして最後は、いや循環の一部として自分には能力が無い、自分はダメなんだという思考が始まります。
循環の一部というのは生きている限りどんな絶望を味わおうとも生物の本能が希望を捨てさせないため再度というか永遠に理想を抱き続け打ちひしがれる思考の循環を自分が繰り返していると自分で思うために書きました。
私は何度同じ思想を繰り返したかもう分かりません。いつまでも希望を捨てない自分が嫌いで客観視してそれを記述し可哀想ぶる自分も嫌いです。自分の事が嫌いな自分が嫌いで自己愛を生物の本能と認めようとする自分が嫌いなのです。
今は自分の精神が幾多にも分裂して互いを罵り合うような心地を感じます。